「君、センスがいいね!」「そのセンスどうなの?」と誰かに言われたことありませんか?もしくは、誰かに言ったことありませんか?
「センス:SENSE」というのは、英語直訳すると ①五感(見る・聞く・感じる・味わう・嗅ぐ)の感覚や観念 ②理解力・物分りのよさ・分別力とあります。
冒頭のセンスという言葉には、それを発する人の感覚を通して、主観的な判断基準によって言っているのであって、たぶん絶対的な判断基準というものはないと思われます。そして、その感覚は、ある程度の経験で培った物差しを通して判断しているというのが想像できます。
今回のテーマは、なんとも捉えにくい「不透明な感覚」と言いましょうか、以前にも[カッコイイって何](VOL.23)で少しお話をしましたが、いいものに触れ、いいものを見るということは、良質のセンス磨きに繋がると言いました。今回は『センス磨きのコツ』について、もう少し掘り下げてみようと思います。
皆さんの中には、この不況・不景気と呼ばれる嵐が世間で吹き荒れる中において、センスを磨くと言っても経済的余裕もなく一体どうしたらいいんだ、と考え込んでしまう人もいるでしょう。或いは、もっとセンスを磨き、自分にブラッシュアップを掛けないといい仕事も出来ないし、今の時代に生き残っていけないというプレッシャーに襲われている人もいるかもしれません。
私は思うのです。「センスを磨いている」を別の言葉に言い換えるとするならば、「心身の贅沢を嗜(たしな)んでいる」ということになると。センスと贅沢とは、一見結びつかない関係のようですが、実は同じ価値基準のところで判断されていることがあります。
例えば、男三人が待ち合わせをして、一人の友人A君が待ち合わせ場所にポルシェというスポーツカーに乗って来たとします。それを見て、なんて贅沢な車だと私はつぶやく。しかし、隣のもう一人の友人B君が、彼はあれだけ稼いでいるのだからポルシェなんて贅沢でもなんでもないよ!と言う。さらに、車の彼本人A君も、この車という相棒を持ってからは仕事もプライベートも充実し本当によかったよ、と答える。そうか、彼のポルシェを選ぶセンスというのは、とてもいいものなんだなと私は思い直す。この「贅沢」というキーワードには、その人の「センスの秘密」が隠されていると思うのです。
贅沢という感覚は、主観的な物差しで図るものであって、自分にとって必要最小限のラインを超えた時に感じるものです。そして、贅沢とは本来なくても生きていけるものですが、全くないというのも味気ない生活や人生を過ごすことになります。人は贅沢をしている時には、五感をフルに回転させて、贅沢をしている自分に対して貪欲に満足感を得ようと働きかけることがあります。
センスにも同じことが言え、自分にとって必要最小限の生活さえ送れれば衣食住なんてどうでもいいと考えたならば、その人のセンスは磨かれず、ただただ没個性の中を彷徨(さまよ)うことになりかねません。
結局、贅沢やセンスというものは、毎日の生活の中で育まれてゆく感覚のもので、自分の「分相応」に照らし合わせながら、自分らしさというものを積極的にアウトプットしてあげる中に生まれてくるのです。
日々の節約や倹約、我慢というものも確かに美徳ではありますが、「一文惜しみの百知らず」にならぬよう、たまには非日常的といった自分へのご褒美という贅沢や、愛する誰かに贅沢なプレゼントをしてあげたりと、自分らしい演出をすることが自分センスの血となり肉となるのだということです。
時折の贅沢は、感性(五感)を刺激させ、人生を彩る自己投資なんだと考えれば、それは素晴らしいセンス磨きへと変わってゆく事になります。
添付写真: たまには京懐石料理といった贅沢な食事も、センス磨きにはいいどすな~。
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