VOL.93 [お洒落と経済] 2013.10.27掲載

2013年10月までの社会全体の経済状況は、昨年暮れの政権交代事変により、さあアベノミクスで一気に景気回復だと前半は多少なりとも盛り上がりました。しかし、結局、潤っている業種は設備投資を行っている企業であり、個人消費は伸び悩んでしまいました。

日経平均株価はリーマンショック以前の水準までは戻ったものの、まだまだ来年4月に実施が予定されている消費増税という大きなハードルをどう乗り越えてゆくかが、社会全体にとっても不透明であります。

とりあえず、この半年間は大物消費財の駆け込み需要は、大いに期待は見込めますが、来年の4月実施以降はいくら減税措置が付帯されるからといっても、買い控えは避けられそうもありません。ましてや各企業は、いつまた元のデフレに戻るか不安な日本経済へのリスクヘッジのために、ますます収益の内部留保が進み、従業員の賃金アップには還元されないのではないかと予想されます。

そんな状況下で、個人の金銭管理とお洒落の関係をどうしたらいいのかが、今回のコラムテーマにしてみました。

元来、お金というものは、悪にも善にも決めつけるものではなく「価値中立的」であります。では一体何にどう使うことが最善なのかは、現代人にとって生きる大きなテーマの一つであります。

現実問題、お洒落な住空間に住み、お洒落な洋服たちを身に纏い、高級嗜好品に囲まれるといった憧れのライフスタイルは、経済的余裕がないと到底不可能であります。そのために働くといったモチベーションには、否定する権利や気持ちは僕には到底ありません。

例えば、極端な話、普通に暮らしていたAさんとBさんが宝くじで1億円当たったとしましょう。大金を持ったAさんは、何も買い物をせず、ほとんどの当選金を貯め込み貯蓄に回します。

Bさんは、7千万円を今まで欲しかった住宅や車、洋服の消費に回し、貯蓄に3千万円を残しました。

さて、傍から二人を見てどちらが「豊かな生活をしている人」に見えるのでしょうか。デフレの根本原因も、Aさんのような貯蓄ばかりする人が大多数いるために起こる現象で、ひとつの悪い“空気”に支配されてしまうようなものなんでしょうか。

こおいうことを考えると、三年ぐらい前に新聞や雑誌で見たJCBカードの広告(キャッチコピー:買い物は、世界を救う。)で高橋是清氏の言葉を引用したコピーを思い出してしまいます(下文を参照)。

所詮、お金の流れというものは、基本的に「貯蓄」「消費」「投資」に分けて考えられます。そのバランス配分が上手い人が豊かな人生を歩めるものだと僕は考えています。

要するに、国や企業、個人の経済はすべて人間の頭の中で操作し、連動しているものです。お洒落(総称語)をするにも身銭を惜しまず、付加価値が高い製品を選び、投資効果のある品質本位のものには積極的にチャレンジしてゆくすべきではないでしょうか。

今、デフレ脱却に向かっている社会状況下では、ブランド礼賛とまで謳わなくとも、「本物としての価値ある消費」は喜ばしいことだと思います。これからの日本において、「投資」という概念をもっと積極的に考え、本当の豊かさとは一体何かを考えさせられる時代に入ってきました。

果たして、お洒落は世界を救うことができるのか・・・。いやいや、お洒落をする心の余裕がまず大事なんでしょうね。


添付写真: 高橋是清(1854~1936)明治後期から昭和初期の政治家。日銀総裁や大蔵大臣などを歴任し、第20代内閣総理大臣となる。昭和初期の金融恐慌や昭和恐慌の際、蔵相として事態の沈静化に活躍した。その後、軍事予算の縮小をめぐって軍部と対立し、二・二六事件で青年将校に暗殺された。

1929年11月、高橋是清かく語りき。
「例へば茲に、一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以って生活し、あと二万円は之れを貯蓄する事とすれば、其の人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が 増えて行って誠に結構な事であるが、是れを国の経済の上から見る時は、其の倹約に依って、是れ迄其の人が消費して居った二万円だけは、どこかに物資の需要が減る訳であって、国家の生産力はそれだけ低下する事になる。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮に或る人が待合へ行って、芸者を招(よ)んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を消費したとする。是れは風紀道徳の上から云へば、さうした使方をして貰ひ度くは無いけれども、仮に使ったとして、此の使はれた金はどういふ風に散らばって行くかといふのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部となり、又料理に使はれた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及び其等の運搬費並に商人の稼ぎ料として支払はれる。此の部分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者其の他の生産業者の懐を潤すものである。而(しか)して是等の代金を受取たる農業者、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住其の他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、其の一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、其の他の代償として支出せられる。(中略)然るに、此の人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。故に、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、其の人に取って、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、寧ろ其の方が望ましい訳である。」(参考文献:高橋是清随想録より)

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Written by Yasumoto Takashi

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