今回は、初めてのカテゴリー・テーマ『音楽』について話をしてみたいと思います。
私は、音楽を聴く時はもっぱら部屋や車の中が中心です。移動中の電車では、本を読むか人間観察に勤しんでおります。
今年の冬は、お風呂でヒーリングミュージック系をよく聴いていましたが、春から夏にかけては、いつもボサノバやハワイアンソングを聞きたくなりますね。
音楽というのは、季節や場所、人を思い出させたり、人を癒し元気ずけたり、またある時は、人の心を鼓舞したりと、様々な所で活用されて人々に愛されています。旋律と人間の波長とは、何か深い関係がありそうです。
今回のタイトル「マイケル・ジャクソンとモーツァルト」と聞いて、二人のどこに共通点があるのか、皆さんはどう想像されますか?
性格?それともルーツ?いやいや顔かも?私が思う共通点は、音楽性に少し通じるものがありますが、二人の『功績』というところです。
二人の音楽は、時代を超え、人種を越え、言葉を越えて、後世に語り継がれる音楽を作り上げたところに共通点を見出します。それだけ二人の音楽は、これからも多くの人に愛され続けるということです。
マイケルのCDやDVDは、何度聞いても飽きずに聞けます。音楽性の高さ、メロディーの透明感と歌声、パフォーマンスの高さ、メッセージ性の高さ、どれをとっても「キング・オブ・ポップス」の名に相応しい。まさしく歴史に残るスーパースターの地位は、あと百年経っても、私たちの知っているクラッシック音楽と並び称されて、ポップス界の先駆者として歴史に刻まれていくことと思います。あと100年、200年後、どちらの方が音楽界の偉人と称されているのでしょうか。
マイケルの生前は、自分でも予期せぬゴシップに振り回され、音楽活動を十分にできなかった悔しさ、寂しさはさぞかしあったことでしょう。短い生涯ではありましたが、人種の垣根を越え、全世界の人たちに愛され続けた証しは、時を刻むごとに増していくことと思います。
「才能」ある人は、たいした努力もなく結果を残すと、安易にとらえがちな風潮がありますが、それは誤解だと思います。
その才能あるマイケルの凄さのほんの一例ですが、彼が以前、来日公演に日本に訪れた時のお話です。滞在ホテルの一室でマイケルがダンスの練習をしていて、練習後にホテルの従業員が見た光景は、じゅうたんは擦り切れ、床は汗で水浸しだったという話をテレビで聞いたことがあります。マイケルのあのパフォーマンスは、努力の結晶の賜物なんでしょう。
また、「才能は磨けば光る」と言われます。その才能を磨き続けるモチベーション(精神維持)は、単なる「好きこそ物の上手なれ」の「好き」だけでは、とうてい続けられるものではないのです。「好き」以上に「自分を信じることができる能力・精神力」こそが、本当の「才能」なのだと私は思います。
「夢の実現は、自分を信じ切れた人のみにやって来る」のではないのでしょうか。
ここに、マイケルのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
添付写真: マイケルの他界後最初のDVDと海外ロケでよく買ってくる天使グッズたち
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