近頃、「美」について深く考えることが多くなりました。本当の美しさとは何だろう?美はどこから生まれるのだろう?そんな素朴な疑問をしっかり考えたくなり掲載に至った訳であります。なので今回は、ちょっとだけ深いお話になると思います。
「美」については古今東西、現代から過去の偉人や聖人たちが、これまで連綿と語り継いできました。そして、それを表現する者たちが自らの頭の中で描いたものを具現化するために、様々な表現方法を駆使して伝えて参りました。それを一言でいうならば「芸術」といい、またそれを伝える者を芸術家もしくはアーティストと呼ぶのでしょう。
それは人間の五感に向けて「これは素晴らしい!」と訴えかけ、感性を刺激し続けてきたものです。では、その芸術の中核ともいえる「美」なるものとは、一体どのようなものなのでしょうか。創作に携わる者としては、とても興味が湧くところです。
まず、その美を見つける方法としては、一体何があるのでしょう。一級品芸術と呼ばれている作品に触れることなのでしょうか。例えば、美術館や博物館に飾られている作品、コンサートホールや劇場で開催されている演劇作品やコンサート、はたまた、世界遺産に代表されるようなところに訪れることなのでしょうか。確かにそこには美なる要素は、ここかしこに散りばめられていることでしょう。
美を表現する者は一人の人間であるからして、まず頭の中で描くイメージが美へと向かうベクトルであるのは、言わずもがなです。美へと向かうベクトルとは、一体どの方向なのでしょうか。ここが一番肝心なところです。
私は思うのです。そのベクトル方向とは、かつてプラトンが説いた価値である「真善美」の善がキーワードであると。真善美とは三位一体であり、全てが循環してこそ最高美の状態が創りだされます。簡単に言うとそのような考え方です。なかでも善とは、ポジティブ思考・プラス思考・調和・平和・進化・豊かさ・普遍といった上昇するエネルギーであったり、愛・夢・感動・希望・勇気・正義・情熱・大義といった心奮い立つエネルギーでもあります。これらのエネルギーが表現者のベースにあってこそ、本当の美に転化してゆくものと考えるのです。
人間の考え出すもの、創りだすものが芸術作品という姿に変え、見る者、触れる者に感動を与え伝播することが、すなわち、美を宿した証拠となりうるのです。
さて、上の写真は、フィレンツェにあるアカデミア美術館のダビデ像です。作者は皆さんご存知のミケランジェロ。ルネッサンス期の最高傑作のひとつと称えられています。モデルとなったダビデ王とは、旧約聖書においてイスラエル王国の二代目の統治者です。当時、ダビデはまだ若く、敵である巨人ゴリアテとの戦いに勇敢に臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現しているポーズです。一対一の闘いの結果は、ダビデが狙いすまして放った石がゴリアテの眉間に命中して、ダビデはすぐに進軍してゴリアテの首を取りました。これをきっかけに敵軍は敗走し、ダビデはイスラエルの英雄となったのです。
そんな物語の背景とポーズが加わったダビデ像には、多くの美の要素が散りばめられています。ここでは彫刻技巧の分析は他にお任せするとして、ダビデの勇気ある行動は一国をも救い、人々に愛と勝利をもたらしたのです。作者ミケランジェロは、そのダビデの奮い立つエネルギーを忠実に再現し、見事に完成させ、見る者に感動を与えたのです。
すなわち、真実の美とは、善念を発露として、皆に良かれ幸あれと願う思いの具現化なのではないでしょうか。これは仏教でいう「邪念を排した無我なる境地」なるものに通じます。私達はどうしても美を求める上で、私利私欲や悪しき欲望に振り回されてしまいます。真実の美を宿す条件には、どうしても必要なのは“善念のベクトルを持つ”という考えに至ったのです。
今回は、美の本質なるものを探ろうと、私なりに考え続けた答えです。真実の美を求める誰かの一助となれば幸いです。
添付写真:イタリア アカデミア美術館収蔵(1504年完成) ミケランジェロ作のダビデ像
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